文庫屋「大関」/がらん堂
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まじめな格子と縞のはなし 後編
●格子と縞の普及

室町時代 足利義満、義政の頃に明との貿易で渡来した緞子(どんす)や金襴(きんらん)、間道などを安土桃山時代に千利休をはじめとする有名茶人が名物茶器の仕覆(しふく)に用いたことから、遂にたて縞がいよいよ普及しはじめます。
柄の画像 間道とは文庫屋の間道縞の名付けの元となったもので、漢道が名前のもとで、いわゆるシルクロードのことのようです。今でいう横縞の段(だん)と共に茶人達の間で粋な、潔い柄としてもてはやされたようです。安土桃山時代は、武士達も茶の湯に傾倒し茶人達の影響を多くの武将が受けていました。ここへ来て庶民のであった格子や縞が武士階級にも浸透してきました。
そして、格子や縞のパターンもいろいろと凝った物が出てきました。
吉野間道は、花魁(おいらん)の名前、日野間道は、茶器の名前を冠した縦縞模様です。地方特有の縞や芝居の役者の衣裳を模したなど、当時安土桃山の頃は、茶の湯の詫びさびとは、対照的に綺羅びやかなの衣裳が大阪を中心に浸透してゆきました。

●粋と格子と縞

江戸初期には南蛮貿易により東南アジアやインドより綿の生地がいろいろと輸入されます。更紗(さらさ)などが伝わったのがその頃です。東南アジアの島渡りの輸入物そこから島物、さらには縞物と・・・そうです!ここで始めて『縞』という名前が登場するのです。それまでは、間道、筋物、段などと呼ばれていた物がやっと縞柄として認知されたのです。
そして、江戸時代になり徳川政権が安定して平安な世の中になると、武士の存在価値がだんだん薄れてゆき、それに変わって商人(町人)の力が経済の発展にともない台頭してきます。武士にしても町人にしても江戸時代は、何度も出された倹約令により着る物も木綿のきものが多くなりここでは、染めの縞や格子がたくさん出てきます。
町人の自由な気風はやがて「粋」という町人文化特有の価値観を生み出します。縞や格子はそうした粋な気風にはうってつけのでした。滝縞、子持ち縞、めくら縞、万筋など間道とは違った庶民風の名前が多く付けられました。
また、仮名手本忠臣蔵には『縞の財布に五十両』という有名な台詞があるように、お財布にも縞柄は使われていたようです。当店の売り物である「財布」の原点がこれですね!・・・おわり
 
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その壱 七福神どれが誰?
その弐 いずれがあやめかかきつばた?
その参 柔道、そろばん、御前 ???
その四 まじめな格子と縞のはなし 前編
その伍 まじめな格子と縞のはなし 後編
その六 荒磯の魚には、ヒゲがある?
その七 亀甲は霊的な紋様なのです。
その八 紫陽花の意外な謎?
その九 フルーツポンチのポンチって?
その十 さよならばあちゃん [1/3]
その十一 さよならばあちゃん [2/3]
その一二 さよならばあちゃん [3/3]
その十三 おでんの世界 [1/2]
その十四 おでんの世界 [2/2]
その十五 まめ御飯(グリーンピースが嫌い!)[1/2]
その十六 まめ御飯(グリーンピースが嫌い!)[2/2]
 
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