文庫屋「大関」/がらん堂
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まじめな格子と縞のはなし 前編
●謎めいた格子と縞

人間が初めて幾何模様を使ったのは、縄文式土器の縄目模様だと言われています。それ以前、壁画のような絵はあったのですが幾何模様となると見い出す事はできません。まあ、絵から模様に発展した、具象的な模様はそのころからたくさん見る事は出来ますが、抽象的な幾何模様となるとこの縄目模様が最初でしょう。
では、この抽象的な模様の代表格である格子と縞、どちらが最初に使われたかわかりますか?・・・・・
答えは、格子です。しかも着衣におけるとしてはかなり後から出現しているんです。格子は、平安後期。縞(この場合たて縞)は、安土桃山から江戸時代にかけて。
これはもう比較的新しいなんですねえ。なんで格子と縞にこんなにも出時に差が生じたかは、わかりませんが、両方とも染織の織の作業から生じたである事は間違いなく、さらには、両方とも渡来の輸入柄であった事も文献等から間違いの無い事実です。そもそも縞の文字は島の音を当てたもので平安後期からずーと島物と呼ばれていたんです。抽象模様の元祖のようなこの格子と縞が、としては意外と新しいものであったり、格子と縞では、出時にかなり時間差があったりと単純なようでなかなかミステリアスななんですねえ。

●格子柄のはじめ

 「格子戸をくぐり抜け、見上げる夕焼けの・・・」でおなじみの格子戸は、日本では蔀(しとみ)という名で平安時代にもよく見ることのできた建て具です。(見てないですけど・・・)蔀を押しあけ光源氏が忍んで入るといった感じでしょうか?その他御簾(みす)といって簾(すだれ)にも格子模様は使われていました。
このように、建て具の世界ではポピュラーな格子模様も着衣のとなると南蛮から輸入されるまでは、出現する事のないだったのです。たぶんそれは日本における織機の発達と深い関係があるように思うのですが、今の段階ではまだ良くわかりません。
とにかく格子柄は、平安後期から鎌倉時代にかけて多くの絵巻や文献に登場するようになってきます。しかし当時、格子柄は庶民または庶民に近い下級武士、しかも男子の着衣に限られていたようで、ハイクラスの官職、武士階級では下品なとされていたようです。この頃は、貴族社会からだんだんと武士の勢力が台頭し武家社会が確立
されてきました。武士の着物は貴族から比べると簡素で活動的なものでした。しかし
柄となると、その当時の武家の気風から受け入れられなかったようです。
まだまだ、一般的に格子柄が普及するのは、時代を重ねないとダメなんですねえ。
 
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その壱 七福神どれが誰?
その弐 いずれがあやめかかきつばた?
その参 柔道、そろばん、御前 ???
その四 まじめな格子と縞のはなし 前編
その伍 まじめな格子と縞のはなし 後編
その六 荒磯の魚には、ヒゲがある?
その七 亀甲は霊的な紋様なのです。
その八 紫陽花の意外な謎?
その九 フルーツポンチのポンチって?
その十 さよならばあちゃん [1/3]
その十一 さよならばあちゃん [2/3]
その一二 さよならばあちゃん [3/3]
その十三 おでんの世界 [1/2]
その十四 おでんの世界 [2/2]
その十五 まめ御飯(グリーンピースが嫌い!)[1/2]
その十六 まめ御飯(グリーンピースが嫌い!)[2/2]
 
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